小 山 和 薈
去る7月に久かたぶりに北海道に旅行する機会に恵まれた。札幌の音楽祭に参加し、未踏の”道東”を訪れることができた。あるシニアの旅の事例を報告することをお許し願いたい。
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1.姪が呼んでくれた音楽祭 この春に発行されたクラシック音楽雑誌『MOSTLY』に、「夏の音楽祭に行こう!」と題して日本および海外の音楽祭の記事が掲載されていた。日本の夏の音楽祭は、①パシフィック・ミュージック・フェステイバル(PMF)、②霧島国際音楽祭、③アフィニス夏の音楽祭2009広島、④草津夏季国際アカデミー&フェスティバル、⑤サイトウ・キネン・フェステイバル松本などがある。このうちPMFは7月4日から26日間、札幌市で開催、名指揮者レナード・バーンスタインの提唱により1990年に創設され、以来その遺志を受け継いでことしで20回を数える。10年目ごとの節目に卒業生で組織するアニバーサリー・オーケストラにはことしは世界各地のオーケストラで活躍する66人が集まり、札幌コンサートホール「キタラ」で記念演奏会が開催された。
この演奏会に札幌に住む妹から、米国の交響楽団の一員でヴァイオリンの演奏活動をしている娘が主催者より招かれ、アニバサリー・オーケストラに出演し、チケットも用意したと呼ばれた。ことしのPMFは金融危機の厳しい環境下にもめげず、当初の予定通り開催された。(因みに特別支援企業は野村グループ、トヨタ、パナソニック、日本航空の4社で、特別後援が北海道新聞社、日本経済新聞社で、ほかに地元の北海道電力、ホクレンなど地場企業が協賛していた) 毎年、世界各国からオーケストラプレヤーを目指す若者たちが集まり、ムーティやハイティング、ゲルギエフなどのマエストロ、ベルリン・フィルやウィーン・フィルなどの名奏者が指導に当たる贅沢な教育音楽祭として国際的にも知名度が高い。姪も1996年、2000年に参加しており、今回は66人のひとりとして呼ばれた。
7月6日の「キタラ」ホールでの記念コンサートはバーンスタインが初めて指揮した演奏曲目に因んで、ベートーベンのヴァィオリン協奏曲、シューマンの交響曲2番が選ばれた。指揮はなんどか芸術監督を務めたクリストフ・エッシェンバッハが振り、ヴァイオリンはエリック・シューマンが奏で客席は深い感慨に満たされた。このホールは竣工して日も浅いが、サントリーホールを参考にして造られただけに音響効果もよく、大いに盛り上がった。当日姪からはアンコール曲が用意されていない旨聞いていたが、会場の盛り上がりに応えなくてはと急遽9人の演奏者が集まり、アンコール曲としてワグナーの「ジーグフリード牧歌」を演奏し、エッシェンバッハも客席で聴き入って、喝采を浴びた。さすが世界各地のオーケストラで活躍するだけに即席の演奏はうならせた。この後札幌パークホテルで"フェヤウエル・パーティが開催されたので参加し、多くの演奏家たち、支援者などとの交流も盛り上がっていた。エッシェンンバッハは「音楽こそ世界を結ぶ平和の言葉である」と今回の開催に感謝の辞を述べ札幌の音楽の夜は更けていつた。
札幌でのコンサートの翌日、札幌駅発「ス-パーおおぞら」で釧路に向かった。ビジネスパースンらしき乗客でほぼ満席、帯広で大半の乗客が降りていった。昔は滝川経由で根室本線で狩勝峠の難所を越えて行ったが、今は南千歳から昭和56年に上落合信号所までショートカットの石勝線が十勝平野への距離を短縮し、重連の蒸気機関車が引っ張る場面は思い出のビデオ映像に残るのみだ。5810㍍の新狩勝トンネルの完成と長い編成の貨物列車との交換できるように多くの信号所が設置されているのもトラックからコンテナー列車に転換のモーダルシフト時代の新しい鉄路に感銘した。北海道最高所538㍍トマム駅に停車、次の新得駅では富良野方面へ乗り換えができる。道東最大の街、釧路駅には札幌から3時間40分ほどで到着した。
釧路湿原、阿寒湖、美幌峠、屈斜路湖などへ阿寒国立公園へのバスが朝8時しかなく、一泊5000円という日本旅館に泊まった。筑波大の外国人学生がカギを持ったまま出発したという大きな10畳2部屋は旅情があった。夜は魚市場の主人お勧めの寿司屋で北海の地の食事を堪能した。
1両のローカル列車の旅情もなかなかいいものだ。車両が急勾配を過ぎて、緑濃い山林を抜け出してひときわ高い1547㍍の斜里岳の裾野の広大な農地に入り、知床斜里駅に到着した。平成10年に”斜里駅”から駅名を変更、駅舎もバスターミナルも素晴らしい造りとなって世界遺産の立派な入り口となった。
再びJRの知床斜里駅に戻ったが、バスに乗る途中で思いがけずキタキツネに遭遇した。森から人里を巡り、知床の山の森に帰るところのようだった。一瞬、犬かと思ったが、キタキツネだった。朝いちばんのバスは通学客が多く運転手となじみの朝の挨拶を交わしながら、オホーツクの海岸を斜里町に向かった。
この日は網走駅で始発の特急「オホーツク」に乗車した。JR北海道の特急列車に乗ると客席のポケットに「北海道旅の情報誌JRHokkaido」が配られており、路線図の片隅に{主な駅の駅弁ご案内}が細かく掲載されている。網走駅構内の駅弁の店で購入したのは案内に出ていた「カニめし弁当」と「帆立弁当」。いずれも840円。オホーツク海の食材を使った地場のものだ。
石北本線は道北の廃線鉄道地図をみるとかなりの路線があったが、今や地図の上でしか見ることができない。遠軽駅でスイッチバックとなり、座席を慌てて転換した。湧別駅や紋別駅まで運行されていた名残りのプラットフォームだろう。北海道最高所(海抜634㍍)の上越信号所を過ぎ、石狩川の上流を車窓から眺めることになると、沿線は田んぼが旭川まで続いていく。下って行けば行くほど大規模な農地に変わっていった。東京のわが家の近くの生協の店頭で最近目立つのはお米「ななつぼし」だ。北空知農協、大雪農協、滝川農協などのブランド米である。食べるとおいしいのである。そうか、この石北本線の「オホーツク」が走り抜ける沿線の田から来たお米なのだ、と改めて認識させられた。そういえば洞爺から札幌に向かう途中で「さくらんぼ」が作られ、直売所がたくさんあった。お米といい、さくらんぼといい、北海道産が次々につくられていく。みかんまで作りはじめているそうだ。
網走から特急「オホーツク」で旭川まで3時間12分、終着札幌駅まで4時間15分で着いた。
ここから寝台特急に乗らず、苫小牧駅まで行き、太平洋フェリーに乗船して仙台港まで行くことにした。
何年か前に北欧に行ったときにヘルシンキ→ストックホルム、オスロ→コペンハーゲンまで大型客船でそれぞれよる出帆し翌朝到着するように旅を進めたことがあった。ヘルシンキまではサンクトペテルブルグまで特急列車で、オスロまではベルゲンから同じく特急列車で乗り継いで行った。コペンハーゲンからハンブルグまではデンマークの特急列車が乗り入れており、途中で列車が大型フェリーにトラックなどとともに乗せられドイツに着くと列車が再び鉄路で進むユニークな船と列車の旅を楽しんだものである。
今回、19時に苫小牧港を出帆、翌朝10時過ぎに仙台港に着いた。自動車で"道”への旅行の帰途に利用するマイカー族も多く、船内はかなりの船客でいっぱいだった。”道”からは函館ー青森間に07年9月、青函高速フェリー「ナッチャンRera」が就航しており、1時間45分(着岸作業時間は含まず)で結ぶ船もある。この船は豪インキャット社製で全長112㍍、幅30.5㍍、世界最大級のフェリーで約30ノット(約67㌔/h)である。
さて、これからは新幹線、列車、自動車、フェリーなどどの交通が生き延びるか。私はエコの鉄道にテコ入れしたい。
ー了ー