2002年7月4日(木) Footscray〜ベトナム移民の街

 Footscrayの駅前

 今日は用事が特になかったのと、車の件でのショックもあり一日中家に居た。修理工場が明日電話をしてくると言っていたが、あてにならないので明日、直接行ってみようと思う。

 その修理工場がある町
Footscrayはベトナム人の移民の町として、そして麻薬の売買の町として知られている。地球の歩き方の危ない地域として書かれていたほどだ。

 高校のときに一年間留学した際には、この町にある公立高校に通っていた。来たばかりの当時は何も町の事情を聞かされておらず、メルボルンの公立学校にはどこの高校もベトナム人が居るのかな?と疑問に思っていた。

 まさか治安の悪いところに入れられたなんて知らないから、メルボルンはどこもそれくらい治安が悪いのかとも思っていた。町の影響もあり通った高校もとても落ち着いた学校とは言えなかった。

 通い始めて数日して、校内で一見、いかにも悪そうなベトナム系生徒に小声で急に話しかけられた。当時英語力が全くなかったため内容は理解できなかったが、その単語を他の友達に何か聞いたら麻薬の一種で多分そのベトナム系の生徒は麻薬を売ろうとしたんだろうと言っていた。

 校内でそういった経験はそれっきりだったが、町では何回かあったし麻薬中毒者のようなものを見かけるのは幾度となくあった。特別に設置された交番のようなところで警官がよくパトロールをしてたものだ。

 ホストマザーが
Footscrayで働いてたため(Footscrayの学校にいれさせられた要因のひとつとしてそれがあっただろう)夕飯の話題としてよくでたのが「今日のFootscrayは最悪だった。」というものだった。もちろんここでいう最悪とは麻薬関係のことを意味していた。


 Footscrayの高校に通って半年くらい経った頃だろうか、徐々に警察を見る回数も減ってきてこんなことを耳にした。「麻薬の流通ルートが変わったようだ。今度はSouth Kensingtonに移ったらしい。Footscrayには警察のパトロールが多くなってきたからだ」

 Footscrayの高校に通うものの身としてはいいニュースだった。まぁ治安が悪いといっても学校の登下校の明るい時間帯に歩いていれば大丈夫で、何も大きな事件に巻き込まれたりはしなかったが。こういう治安が悪いといわれる地域を夜に歩くのは絶対避けたほうがいいだろう。


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